滋賀県の銅像 日野町:蒲生氏郷

数年前に、安土城へ行くことが第一目的だったのですが、まず向かったのが、この銅像でした。

名神高速道路 八日市ICを下りて国道307号を日野町に向けて進みます。
朝の通勤時間帯前の時間であったので、日野記念病院の駐車場を少しお借りして
307号沿いの公園まで歩いていきました。徒歩1分程度の距離です。


蒲生氏郷

場所:滋賀県蒲生郡日野町 ひばり野公園

日野町のホームページ  のトップにも氏郷公の銅像が掲載されてあります。
地元の英雄なんですね。

蒲生氏郷といえば、燕の尾をモチーフにした珍しい兜も所有していた。



漆黒の甲冑で、さすが魔王・信長公に才能を認められた人物だけあり、ファッションセンスも抜群だったに違いない。ぜひこの鎧で銅像を建立していただきたい。

埼玉県の銅像:太田道灌(岩槻)


関東甲信越にいくつも建立されている太田道灌公の銅像ですが、
岩槻:芳林寺にあるのは、唯一甲冑姿の騎馬像です。

太田道灌
場所:埼玉県さいたま市岩槻区 芳林寺
作者:富田憲二・山本明良
建立:2007年

芳林寺専用の駐車場から見る景色です。
建立当時(2007年)にはまだ柵はなかったと記憶していますが、整備されてきております。

この騎馬像の作者は 世界的に著名な 富田憲二・山本明良氏(彫刻工房 十方舎)によるものと説明がありました。

金の太田桔梗紋が目立つ正門の左の入り口から入ると 武将の座像が見えてきます。

太田氏資
場所:埼玉県さいたま市岩槻区 芳林寺
作者:富田憲二・山本明良
建立:2003年

北条氏が関東の覇権を握っていた頃に名将として知られていた 太田資正(三楽斎)の嫡男。
太田道灌の昆孫にあたります(玄孫の孫が昆孫と調べて知りました。)

父・資正は反北条氏として活動していたが、太田家存続のために、一時、北条氏に臣従します。
ところが北条と敵対する上杉謙信に呼応し、再び反旗を翻すことになります。
氏資は、そのような動きをする父を追放し、岩槻太田家の当主となる。
北条氏康から「氏」の名前を与えられたことから、信頼を置かれていたと思われる。

氏資像の視線の先には、尼さんの座像が見えます。

芳林春妙禅尼
場所:埼玉県さいたま市岩槻区 芳林寺
作者:富田憲二・山本明良
建立:2004年

太田氏資の母で 当山の開祖。

そして、芳林春妙禅尼の像の後方に もう一体銅像がありました。
あれ?? 今まであったかな?

しかも 鷹狩姿の武者像です。まさか・・・・

そのまさかの鷹狩姿の銅像といえば、銅像ファンにはお馴染みの太田道灌でした。

太田道灌
場所:埼玉県さいたま市岩槻区 芳林寺
作者:富田憲二・山本明良
建立:2014年

等身大ではなく、少し小さい銅像でした。

笠に手を当て遠くを見つめる姿の銅像は、また新たなデザインです。

何度も訪問している埼玉県 岩槻ですが、訪問する度に新たな発見があるので面白いです。

鳥取県の銅像(三朝温泉:キュリー夫妻)

中国自動車道から米子自動車道「蒜山IC」を下りて、国道482号~179号線を目指しました。

鳥取県は、「三朝温泉」に行きました。
ここは世界でも屈指のラドン含有量のラジウム温泉して有名です。

県道21号線沿いの三朝温泉に向かう道の一角に等身大より少し小さめの外国人の銅像を見つけることができます。


ピエール・キュリーとマリー・キュリー(キュリー夫妻)

場所:鳥取県東伯郡 三朝町 三朝キュリー公園
建立年:2010年(平成22年)
制作者:日本原子力研究開発機構



放射能の研究で世界的に有名なキュリー夫妻です。
女性初のノーベル賞と2回受賞したことでキュリー夫人の知名度が高いですが、1903年の受賞は
キュリー夫妻との共同研究です。
1911年はキュリー夫人単独の研究結果でノーベル化学賞を受賞しています。

ラジウムの研究が現在の三朝ラジウム温泉の恩恵を受けているということで夫妻の功績を称えるために
銅像が建立されました。

三朝温泉の近くにある人形峠は、1950年代に日本でウラン鉱の探索が始まったころに、ここ鳥取・岡山両県をまたがる地域が良質でまとまった鉱量を確保できるウラン鉱床として有名となり「人形峠ウラン鉱山」と呼ばれていました。
 1970年代になり、ウランの国際的な値段が下落したため、採掘は中止、2001年にウラン濃縮工場は閉鎖されましたが、日本原子力研究開発機構による研究が続いております。

この銅像の台座や公園に敷き詰められた赤レンガは、この付近にある人形峠から採掘された土を原料としたレンガです。 ウランレンガとして一般にも販売されているようです。
 
日本原子力開発機構が、ウランレンガの安全性を示すために、銅像の建立と広場へのレンガを敷き詰めまたようですが、放射能を危険視し、銅像建立を批判する人達もおり、賛否両論のある銅像です。
銅像はというと夫婦仲睦まじい様子か?研究に対する議論をしている様子か?
いづれにしても、微笑ましい銅像に見えます。

さていよいよ三朝温泉の温泉街に入ります。街には「恋谷橋」があり、「縁結びのかじか蛙」とかかれた陶製のモニュメントがありました。
そばには カエルの顔をモチーフにしたアーチがあり 縁結びの絵馬をかけることもできます。

マリー・キュリー(キュリー夫人)
場所:鳥取県東伯郡 三朝町  「キュリー広場」(国民宿舎ブランナールみささ前)
建立年:1959年(昭和34年)
制作者:早川巍一郎
三朝町は、ラジウム発見をしたキュリー夫人の功績を称えるため1951年から毎年8月にキュリー祭を開催しているようです。
その影響でフランスとも交流深い町になっているそうです。
旅から帰って来て知ったのですが、キュリー夫人の胸像がある ブランナールみささは、フランスの城をイメージした建築物です。

三朝温泉に来たついでにキュリー夫妻の銅像の鑑賞は如何でしょうか?

銅像建立数ランキング(2021/4)

銅像になった人物で数が多いランキングを紹介します。
最新情報はこちらを確認ください


坂本龍馬

北海道1体、東京都2体、長野県1体、福井県1体、京都府6体、大阪府1体、香川県1体、高知県11体、長崎県6体、熊本県1体、鹿児島県2体

FRP像
愛媛県1体、東京都2体、京都府1体、高知県4体、鹿児島県1体


松尾芭蕉

秋田県1体、山形県6体、岩手県1体、宮城県4体、福島県8体、栃木県1体、埼玉県1体、東京都3体、新潟県2体、富山県1体、福井県1体、岐阜県1体、京都府1体、滋賀県1体、三重県3体、和歌山県1体

(FRP像)
埼玉県1体


笹川良一

東京都4体、愛知県1体、大阪府2体、兵庫県1体、和歌山県1体、岡山県1体、福岡県1体
全国24か所の競艇場


日本武尊

埼玉県2体、栃木県2体、茨城県3体、群馬県1体、千葉県2体、静岡県1体、愛知県1体、石川県1体、富山県3体、滋賀県2体、大阪府1体、兵庫県1体、三重県1体


聖徳太子

栃木県1体、東京都3体、埼玉県1体、京都府1体、大阪府2体、兵庫県3体、奈良県2体、滋賀県2体、福岡県1体、佐賀県1体


織田信長

山形県1体、愛知県3体、岐阜県5体、東京都1体、福井県1体、滋賀県1体、兵庫県3体、長崎県1体 
※吉法師像含む


野口英世

福島県5体、栃木県1体、神奈川県1体、東京都1体、大阪府2体、愛媛県7体


また定期的に集計して発表します!

長野県の銅像(川中島の合戦像)

日本戦国史に輝く名勝負 川中島の合戦の史跡と銅像を巡りました。

朝6時 霧の立ち込める妻女山を 高速道路 松代SAより眺め気分が高まりました。

上杉謙信公が本陣を敷いた妻女山中腹に着陣です。

妻女山本陣跡から 川中島古戦場を一望できます。

奇しくも 合戦当日と同じ霧が立ち込め異様な雰囲気漂ってます。

一方 武田信玄公は 海津城に入り、対峙します。

始めてだったので車では少し解りにくい場所にありました。一応 駐車場は整備されていますが、そこから徒歩3分ほどの距離、田んぼ道を歩き海津城に到着しました。

10日間あまり両軍のにらみ合いの後、武田軍が動き出します。
夜にまぎれて 本陣を八幡原へ、別働隊を妻女山の裏に奇襲攻撃をするという 「啄木鳥戦法」。

その動きを察知した謙信公も妻女山を降り、雨宮の渡から千曲川を渡り、八幡原に移動を開始。
「雨宮の渡」に行きましたが、戦国時代と川の流れの位置が変わってしまい記念碑だけになっていました。

千曲川を越えて 決戦地である八幡原に向かいました。

激戦地は現在は八幡原史跡公園となって駐車場、広場、お土産屋さんと整備されています。
八幡社のある付近が 川中島合戦のクライマックス
謙信公VS信玄公の一騎打ち「三太刀七太刀」の場所です。

公園内の 合戦図

ありました! 

上杉謙信・武田信玄一騎打ちの像

長野県長野市 八幡原史跡公園

襲いかかる上杉謙信公 と 軍配で迎え撃つ 武田信玄公 

このカットが有名ですね。

鬼気迫る 謙信公の表情

冷静に軍配で太刀を受け流す 信玄公

銅像は荒削りな作風ですが、逆にそれがこの合戦場に映えていました
素晴らしい