琉球王国

琉球王国の歴史①王朝の誕生から三山時代まで

琉球の歴史は薩摩支配下の時に書かれた琉球王府の史書『中山世鑑』が元になっています。
薩摩支配以前の記録は「琉球神道記」琉球に渡った日本の僧侶が記した書物「おもろさうし」という15世紀の歌集などがあります。

琉球王朝は神話の時代から始まり中国の王朝のように王が禅譲(王の位を譲る)することにより代々引き継がれて行きました。

天孫氏王朝~舜天王朝~英祖王朝~三山時代~第一尚氏王朝~第二尚氏王朝という流れです。

天孫氏王朝と舜天王朝までは架空の人物であり、英祖王朝から実在の人物であると言われています。

1.天孫氏王朝の時代

天孫帝子が琉球に住み着き、長男:天孫、次男:按司、三男:百姓が生まれます。
※按司(アジ)とは王侯貴族の意味で琉球において地域の豪族的な位置づけです。

長男が国王となり「天孫氏」は統治期間1万7802年の25代続く「天孫氏王朝」の琉球国王として君臨されたとされています。

西暦1186年頃に天孫氏25代王・思金松兼の時、臣下の利勇に毒殺され王位を奪われます。

2.舜天王朝の時代

浦添按司の舜天という人民から慕われていた人物が逆臣・利勇を滅ぼして「舜天王朝」を築きます。

この舜天の父は「鎮西八郎為朝」という伝説があります。
鎮西八郎為朝は、京都で勃発した保元の乱(1156年)で崇徳上皇に味方した源氏の大将の一人。
平清盛と兄・源義朝に敗れ九州に落ち延びてさらに琉球・大里に辿りつき大里按司の妹と出会い大恋愛の末「尊敦(後の舜天)」を産んだとされています。

源為朝の伝奇小説「椿説弓張月」(原作は江戸時代の曲亭馬琴(滝沢馬琴))にも琉球での逸話が描かれています。
※真偽は定かではありませんが、琉球王国の祖が源氏の御曹司の子孫とは夢がありますね。


3代国王・義本の時代に大飢饉が起こった際に政治を臣下の英祖に任せたところ災いが収まりました。
義本は王の位を英祖に譲り、舜天王朝は「英祖王朝」に引き継がれます。

3.英祖王朝の時代

この英祖王朝から実在の琉球王朝が始まったと言われています。

この英祖在位の期間は、世界帝国モンゴル(元)が日本にも襲来した時代でした。
日本への侵攻に失敗した元軍が琉球にも攻めてきましたが、撃退に成功しているそうです。(1291年)

4代国王:玉城は、政治を顧みなかったため、地域の有力豪族(按司)が群雄割拠し余波乱れることになります。

この頃に南北の有力按司が2つの勢力にまとめるようになります。

羽地按司の帕尼芝がまとめた勢力を北山王国

大里按司の承察度がまとめた勢力を南山王国

5代国王の代に信望のあった浦添按司:察度が禅譲され中山王国として引き継がれることになります。

ここに100年に渡る「三山時代」が始まるのです。

4.三山時代

それぞれの王国の中心地を現在の沖縄県の場所と国王の情報は以下のようになります。

北山王国:場所:今帰仁村
     国王:初代:帕尼芝、2代:珉、3代:攀安知


中山王国:場所:那覇市、浦添市
     国王:初代:察度、2代:武寧

南山王国:場所:糸満市
     国王:初代:承察度、2代:汪英紫、3代:汪応祖、4代:達勃期、5代:他魯毎 

三山時代の国王は有力按司(豪族)の盟主的な位置づけであり、絶対的な権力はなかったと言われています。

1406年に南山の有力按司であった尚巴志が台頭し、中山王・武寧を討ち、父の尚思紹中山王に即位させます。

勢いに乗った尚巴志は、1416年北山の有力按司の味方に引き入れて今帰仁城の北山王・攀安知も討ち、弟:尚忠に治めさせます。

父が亡くなると尚巴志自ら中山王に即位します。
1429年には南山王・他魯毎を攻め滅ぼし、琉球統一王朝を築くことになります。

この尚氏王朝の時代に首里城の拡張整備などが行われ、日本人にお馴染みの琉球王朝の発展がはじまります。

その②へつづく

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