中華史戦国七雄

中華・戦国七雄の時代⑤斉・秦2強の時代(2)

0年前に斉の謀略によって従属国に甘んじてしまった燕:昭王は国力回復のために師と仰ぐ郭隗(かくかい)に富国強兵のための相談をした。
郭隗は「まずは私に宮殿を与えて優遇してください。そして国中に人材を集めていると御触れを出すのです。
私のようなものでさえ好待遇をされていると聞きつけて全土から優秀な人材が燕に集まってくるでしょう」と答えた。

燕が広く人材を集めていると聞きつけ集まって多くの優秀な人材が登用された。その中には名将として誉れ高い楽毅(がくき)がいた。
楽毅は、中山に仕えていたが、中山が趙に滅ぼされた後に、しばらく趙に仕えていたが、趙王が代替わりすると魏に赴き、今回、燕に辿り着いたのであった。

※大事なことを始めるための準備をすることを「まずは隗より始めよ」という言葉があるが、この故事が語源である。


紀元前285年、斉は隣国の小国:宋を滅ぼし、楚を攻め、趙・魏・韓に進攻し、泗水沿岸の魯などの小国は事実上属国となりその勢いは秦をも凌ぐ勢いであった。

これまで斉をここまでの強国に育て上げた孟嘗君を疎ましく思うようになっていた斉:湣王の思惑を察知した孟嘗君は、斉を去り魏に出奔してしまう。

疎ましい存在であった孟嘗君が出奔してから斉:湣王は、もともとの傲慢な性格も相まって隣国に対して恫喝外交をするようになる。


十分に国力を蓄えた燕は、密かに魏・趙・韓・秦と合従連合の交渉を進めていました。
斉の強硬な外交に危機感を覚えていた列国は燕に同意し、燕・魏・趙・韓・秦の五か国連合が成立します。

紀元前284年、燕の楽毅が率いる5 ヶ国の合従連合軍50万が斉に攻め込みました。

斉は20万の軍勢で迎え撃ちますが、名将:楽毅の巧みな戦術により斉のほぼ全土の都市を制圧しました。(済西の戦い)

燕以外の四国(魏・趙・韓・秦)はここで撤退しますが、燕軍のみは、斉の国都:臨淄(りんし)まで攻め込み陥落させることに成功します。

積年の恨みを晴らした燕:昭王は、歓喜し臨淄まで赴いて楽毅に感謝とねぎらいのために王族以外にも関わらず昌国君(しょうこくくん)に任命し領土を与えました。(※当時、王族以外に国を与えることは異例の待遇でした)

更に楽毅は斉の残り70の都市の制圧に取り掛かります。

斉の軍勢は「楽毅来来!(中国語で楽毅が来る!)」と恐れて戦わずに軍門に下ってしまったと言われています。そんな中、楚から斉への援軍として来ていた将軍:淖歯(とうし)が楽毅の侵攻を抑えることが不可能と判断し斉:湣王(びんおう)を殺害する事件が起こった。

王を殺害された斉の民衆が淖歯を殺害するという事件も起こり、湣王の子:襄王(じょうおう)が擁立されて即位した。

斉の都市は莒(きょ)と即墨(そくぼく)の2拠点だけとなってしまい燕軍により風前の灯火となっていたが、斉国民が一致団結して死に物狂いの抵抗をし、特に即墨では田単(でんたん)という下級役人が頑強に抵抗したため、さすがの楽毅も攻めあぐんでしまった。

※田単のエピソードで楽毅が斉の都市を攻めて来た際に燕の勢いを止められないと察知して予め馬車の車輪を補強させておき、戦わずに一族と民衆を連れて逃げ出した。他の将軍や民衆が逃げ遅れる中、無事に即墨に逃げ切ることができたというものがあります。

このような状況で紀元前279年、燕の昭王が死去してしまい、昭王の子:恵王が即位する。
実は、恵王は楽毅の事を太子時代からよく思っておらず、これが斉と燕のターニングポイントとなる

斉では田単が大抜擢されて起死回生を図ることになった。
燕国内に間者を送り「楽毅が莒と即墨の2城をすぐに攻め落とさないのは、自らが斉王になる野望を持っているからだ」という噂を流し離間の計略を仕掛ける。
斉:恵王がその噂を信じてしまい楽毅を解任し、代わりに騎劫(ききょ)を将軍に任命した。
楽毅は燕には戻らずにそのまま趙へ亡命した。

この将軍交代劇に燕の兵士たちは憤慨して士気は大いに落ちてしまった。
更に斉:田単は、心理戦で燕軍を油断させ、斉軍や民衆を鼓舞しつつ、反撃の時期を待った。

そして1000頭の牛の角に松明を付けて、荒れ狂う牛を燕軍に突入させる火牛の計を実行した。
田単は、混乱した燕軍を一気に攻め立てて70余の都市を奪還し、その勢いで斉が失った領土を回復してしまうのであった。

燕:恵王は、楽毅が燕に攻めて来ては大変と楽毅に当時のいきさつの誤解を解くための手紙を送った。
その返書として書いた楽毅の書「報遺燕恵王書(燕の恵王に報ずるの書)」は、先代王:昭王への敬愛と忠誠を語った清々しい文章であり古今の名書として中国では今でも語り草になっている。

楽毅からの反撃はなくなった燕であったが、一時は戦国七雄の主役に躍り出たものの、楽毅が去った後は存在感が薄れて行ってしまう。

名将:田単によってどうにか失地を回復させた斉であったが、時の勢いは失われてしまった。

戦国七雄は秦一強の時代に突入していくのである。

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