意外に面白い中国近代史:辛亥革命と軍閥群雄割拠の時代⑤
日本人にはあまり馴染みのない中国・辛亥革命と軍閥の抗争時代・・・・。
実は、近代中国史は三国志演義顔負けの群雄割拠の覇権レースの時代で面白いのです。
※一応、完結編
1.蒋介石と李宗仁との因縁(寧漢戦争)
時間は、1927年の上海クーデター後まで遡ります。
国民革命軍内で台頭した共産党の排除に成功した国民革命軍は、武漢の指導部:汪兆銘、唐生智 と南京の指導部:蒋介石、李宗仁の両陣営で主導権争いをするようになります。(寧漢分裂)
武漢政府は、唐生智、程潜らを南京に派遣し蒋介石討伐の軍勢を差し向ける。南京政府側の李宗昌が程潜と南京郊外で会議をし、相互攻撃をしないとの盟約を結ぶ。
これによって、蒋介石は、南京政府内での李宗仁に発言権を高める結果となってしまう。
武漢政府の汪兆銘も両陣営の対立の継続は望まず、革命軍内の指導権争いは終焉を迎えるのですが、汪兆銘VS蒋介石の対立構図が、唐生智 VS 李宗仁に変わっただけでした。
その結果、唐生智 VS 李宗昌が軍事衝突を始めます(寧漢戦争)
結果として、李宗仁ら広西軍閥の勝利に終わり、唐生智は日本への亡命を余儀なくされます。
国民革命軍の実権は李宗仁が掌握することになりますが、蒋介石が政変を起こして再び蒋介石が国民革命軍の主導権を復権することになりました。(広州張黄事変)
第二次北伐では、蒋介石と李宗仁は協力して張作霖を倒しましたが、実はこのような因縁が二人の間にはあったのです。
2.蒋桂戦争
さて北伐完了後に蒋介石は、協力に応じた軍閥の軍事力削減を目的とした「善後編遣会議」を制定した。
政府、軍部の改革が行われ、独自の軍隊を持つことを禁じる法令が出来たため、北伐に協力した軍閥たちはその決定に不満を覚え始める。
李宗仁が属する広西軍閥と蒋介石との政治対立の危機が再燃し始めていた。
李宗仁の盟友であり、第一次北伐軍の第四軍司令であった李済深は、両名を調停する目的で蒋介石を訪問するが、軟禁され政府内の職務を解雇されてしまう。
身の危険を感じた李宗仁が南京を脱出したため、蒋介石は広西軍閥の武力討伐の声明を発した。
この時点では、馮玉祥、閻錫山の軍閥は中立の態度を示していた。
これに対して広西軍閥の3大指導者:李宗仁、白崇禧、黄紹竑は、反蒋介石の軍を結集するために武漢に向かいます。
李宗仁、白崇禧は武漢へ到着が遅れ、広西省で留守を預かる黄紹竑が武漢への北上がままならず、広西軍閥の体制が整わないまま戦線が拡大していくことになりました。
広東の戦闘で挽回した李宗仁は、馮玉祥に反蒋介石の軍を挙げるように要請をします。
馮玉祥はこれに呼応して軍を起こします。
一方、蒋介石は雲南、貴州、湖南の軍勢を参集して広西軍閥への攻勢を続けると共に、馮玉祥配下の韓復榘、石友三を買収し寝返りに成功します。
また先年、李宗仁に敗れ日本に亡命していた唐生智を呼び戻し味方に引き入れました。
これらが引き金となり馮玉祥が展開していた北方の作戦が失敗します
李宗仁も総崩れとなり、広西軍閥の3大指導者:李宗仁、白崇禧、黄紹竑はそれぞれ香港、サイゴンなどに亡命することになります。(蒋桂戦争 1929年)
※補足:広西軍閥の軍隊を桂軍と呼んでいました。そのため蒋桂戦争と呼ばれます。
3.中原大戦
その後、入れ替わりで軍閥が反蒋介石の軍を挙げることになります。
①馮玉祥は、閻錫山と連合して、反蒋介石の軍を挙げる。しかし閻錫山は、国民政府陸海空軍副総司令を任ぜられたため、蒋介石に寝返ってしまい孤立した馮玉祥は、陝西省へ敗走してしまう。
②唐生智が石友三と連合して反蒋介石の軍を挙げるが、これも早々に撃退されてしまう。
③蒋介石支持だった閻錫山も軍縮の対象が自分の身にも降りかかる運命だと悟ると、遂に各地に敗走した軍閥達を結集し反蒋介石の軍を挙げることになりました。
総司令:閻錫山、副司令官:馮玉祥、李宗仁 さらに蒋介石の政敵である汪兆銘も名を連ねました。
中原の覇権を賭けた 中原大戦の勃発である(1930年)
さてこの状況に、奉天軍閥の張学良が蒋介石を支持すると表明したため、反蒋連合の軍閥軍が瓦解する。
閻錫山は日本へ亡命、馮玉祥、李宗仁は蒋介石に降伏、この後は国民革命軍の一員として抗日戦争でも活躍をすることになります。
こうして軍閥最後の抵抗であったこの戦争はあっけなく終了したのでした。(1930年:中原大戦)
その後
1927年の上海クーデターで蒋介石に追われた共産党の毛沢東が1929年~1931年にかけて井崗山を革命の根拠地として雌伏の時を過ごしていた。
1931年「中華ソビエト共和国臨時中央政府」の樹立宣言をしたことにより、蒋介石から攻撃されて逃避行をした苦難の伝説「長征」は、また新たな中華英雄伝説の1ページとして始まるのである・・・・。
※多分 やりません(w)
最後に、軍閥の抗争は、熾烈でドラマティックな近代戦争と思ったのですが、実際は、士気は低く、大将同士の罵り合いで始まり、兵器の火力が優勢な軍隊が勝ち、張子の虎のような軍隊同士の戦いだったと言われています。
終劇 ご清聴ありがとうございました。