知勇兼備で忠義の士:遠藤直経
戦国武将の遠藤直経(えんどうなおつね)
近江国(滋賀県米原市周辺)出身の遠藤直経は、戦国大名浅井家の譜代の家柄です。
主君:浅井長政の14歳年上で長政が幼いころからの相談役として信頼されていた人物でした。
知勇を兼ね備え、特に謀略にも長けていたと言われていますが、隣国の伊賀の忍者集団とのつながりがあり
作戦にその情報網を利用していたのではないかとも・・・・。
遠藤直経にまつわる3つ逸話は、主君:浅井長政と織田信長との関係がキーポイントです。
その1:信長暗殺を提案する。
織田信長が台頭し始めた頃、浅井長政とは同盟関係を結んでいました。
信長の底知れぬ才能を感じていた遠藤直経は「いつか信長が浅井家に牙を剥くとも限らない」と考え
勢力が拡大する前に、信長を暗殺すべきと長政に進言します。
しかし浅井長政は「信義に背く」と遠藤直経の提案を却下してしまいます。
その2:朝倉家との縁を切り信長に味方すべきと提案する。
織田信長と朝倉義景が対立するようになり、どちらの家とも同盟関係のあった浅井長政は板挟みに合います。
その時、遠藤直経は「信長に味方すべし」と提言します。
理由は、朝倉義景は高貴な家柄だけで優柔不断の武将であったため、戦国の世を生き残ることが出来ない。
底知れぬ実力の持ち主:織田信長を暗殺できないのであれば、今のうちに強固な同盟関係を結び信頼を得ておくべきというものでした。
しかし浅井長政は先祖代々繋がりを持っている朝倉家を見限ることが出来ず、反信長の動きをすることになってしまいます。
その3:敵の織田信長本陣に一人で迫る
遂に織田信長と浅井・朝倉連合軍は激突し、有名な姉川の合戦が勃発します。
結果は、浅井軍の大敗・・・・。
味方が総崩れで敗走する中、遠藤直経は味方の武将:三田村左衛門の首級を持ち、織田軍に成りすまして織田軍本陣に向かって歩き出しました。
本陣にいる織田信長までの距離数10メートルまで迫り、信長に斬りかかろうとした矢先、織田軍の竹中重矩(竹中半兵衛の弟)に正体を見破られてしまいます。
遠藤直経は、織田信長本陣で大いに暴れまわり壮絶な最期を遂げました。
その後、浅井長政は織田信長に本拠地の小谷城を攻められて滅亡します・・・・。
あの時 遠藤直経の提言が受け入れられていたら、浅井長政は織田信長の盟友として活躍できたに違いない良将であったため残念でなりません。
マイナーな武将だけに、遠藤直経ゆかりの場所があまりないのも残念です。
討ち死にした場所に遠藤直経の墓があるようなので、滋賀県長浜に行った時には、その生き様を顕彰したいものです。