源頼朝の兄弟たち
ちょっと急に 源頼朝の兄弟に誰がいたのだろう?
と気になったので調べただけの記事です(w)
源頼朝の兄弟と言えば、まず源義経を思い浮かべると思います!
歴ヲタなら平家追討軍として義経と両軸で動いていた源範頼も思いつくことでしょう!
源義経は九郎殿と呼ばれる通り頼朝の末弟の九男坊です。
ということは、それ以外にも何人もの兄弟がいるはずなのです。
調べた源頼朝の兄弟一覧はこちらです!
※wikipediaで即調べられる便利な世の中ですねw (引用:wikipedia)
頼朝の母は父:義朝の正室:由良御前でしたので、頼朝は実質的な嫡男だったのですね・
頼朝と平家追討で行動を共にしていた範頼と義経とは母違いの兄弟だったのです。
頼朝の二人の兄:義平と朝長は、側室の子でありました。
特に長男:義平は、悪源太と呼ばれ勇猛果敢な武将として名を馳せていました。
義平も朝長も、父:義朝が平清盛と争った平治の乱で戦死または斬首されてしまいました。
四男:義門は、頼朝と同母兄弟でありましたが、幼くして死去。
五男:季義も、頼朝と同母兄弟でした。平治の乱で父:義朝が斬首された後、幼い季義は、兄頼朝が伊豆に島流しになったと同じように
土佐に島流しになりました。
成人になった時、兄:頼朝が伊豆で平家打倒の兵を挙げます。呼応を恐れた平家によって追討軍が土佐に派遣され殺害されてしまいました。
頼朝は実弟の死を嘆いたと言われています。
余談ですが、鎌倉にある頼朝公の墓所の横には、下記の説明版があります。
お互いの墓所にそれぞれの土と石を交換して兄弟を再開させてあげたということです。
六男:範頼は、最初にも紹介しましたが、義経と共に平家追討軍として各地を駆け回る活躍をします。
七男:全成は、義経の同母兄弟で、平治の乱後に醍醐寺に預けられました。 義経(幼名:牛若丸)が鞍馬山に預けられたのと同じです。
出家して全成を名乗り、兄の頼朝が挙兵後の石橋山の合戦にて平家に敗北した際に、兄弟として一番最初に頼朝の元に駆け付けたとして頼朝から泣いて感激されて信任を得ます。
阿野氏の祖となった全成は、後の太平記(南北朝時代)に登場する阿野廉子の先祖でもあるそうです。
八男:義円も義経の同母兄弟。 義経同様に円城寺に預けられ出家し、後白河天皇の皇子に仕えていました。
頼朝が挙兵した際に、叔父の源行家と行動を共にして平家追討の戦いをすることになります。
九男:義経は、言わずと知れた中世日本を代表する悲劇のヒーロー!
その他、女子も数名いたようですが、その中の 坊門姫 だけが名を残しています。
父:義朝が平清盛に敗北した後に都に匿われ、その後、貴族の名門:藤原北家中御門流の流れを組む一条能保と結婚。
頼朝と都の公家との接点が坊門姫によって開かれて、後の頼朝の天下獲りに一躍買ったに違いありません。
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