朝鮮三国志

後朝鮮三国志①~新羅の衰退

7世紀には新羅による一応の統一国家を誕生させた朝鮮半島でしたが
朝鮮三国志⑧を参照

新羅では、780年に王室の血筋争いが激しくなり建国の英雄である武烈王の血筋が断絶した。
その後王位簒奪は続き、地方軍閥が力を持ち、農民による反乱など中央集権体制の弱体化が進んでいた。

後高句麗の誕生

時は流れて9世紀(850年頃)新羅の48代王・景文王の側室の子として生まれた弓裔(クンイェ)は、生まれた日が縁起が良くなく空がおぼろげだったなどの理由で王から殺害を命じられてしまう。
不憫に思った乳母が弓裔を宮殿から連れ出し出自を隠して育てたという。

※救出する際に、弓裔の片目に指を突いてしまったため、隻眼になってしまう。

隻眼の王とはなんともカッコイイ設定ですねw

画像:韓国大河ドラマ「太祖王建」より

よくこういうドラマにありがちな展開で、やんちゃに育った主人公が乳母を困らせる出来事を多発させ

「実はお前は王室の血筋を持つ子なのだから、立派な人物になっておくれ」と衝撃の事実を語られ目覚めることがありますが

まさにそういうエピソードがあるようです(w)


その後、僧侶となり托鉢の修行で各地を歩き回るが、その時に上空を飛んでいたカラスがくわえていたものを弓裔の托鉢に落ちてきた。

落ちて来たものは「王」と記された象牙の札であった!
それを見た弓裔は、運命を感じ自分を殺害しようとした新羅王へ復讐を誓うのであった。

各地で軍閥の勢力が凌ぎを削り、新羅に反乱が起こっていた時代である。

弓裔は有力軍閥の梁吉(ヤンギル)の配下となり反新羅の闘争を始める(892年)

梁吉の軍として江原道、京畿道、黄海一帯を攻略し、部下に戦利品を平等に与えるなどで人望を集める。
仏教に帰依していたことで家臣や勢力圏の民から「弥勒」の化身と崇められ独自勢力を確立する。

それを面白く思わない梁吉が、弓裔を討伐の軍を挙げるが逆に返り討ちにしてしまう。

そして弓裔は、901年には高句麗の再興を旗印として後高句麗を建国するのであった。

後百済の誕生

尚州の農民出身で、甄萱(キョンフォン)という人物がいた。

西南海を反乱軍から防衛することに功を成し、新羅政府から将軍に抜擢される栄誉を得た。
しかし、甄萱は将軍の地位に飽き足らず野望を胸に秘めて挙兵の準備をした。


892年、農民一揆に乗じて挙兵し、全羅南道、全羅北道を占拠に成功。
900年に王を名乗り後百済国の建国を宣言した。

52代新羅王・孝恭王はこのような状況下にも酒に溺れ政治を顧みなかったため、ますます新羅の国力が衰える原因となってしまった。

ここに 後朝鮮三国志の時代が始まるのであった・・・・・・。

続く

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