埼玉県の銅像(期間限定:戦国図鑑)

2015年夏・・・埼玉が戦国で熱くなりました。
氷川神社の総本社である大宮氷川神社の北西側にある埼玉県 歴史と民族の博物館が戦国BASARAとコラボした特別展「戦国図鑑」を開催しているのです。

博物館の入り口には、戦国BASARAのイラスト看板が所狭しと飾られております。

そして博物館に入るとエントランスホールにふてぶてしくも馬上で腕を組む戦国武者像がお出迎え。
三日月の兜のあのお方です!!

伊達政宗

場所:埼玉県さいたま市大宮区 埼玉県歴史と民族の博物館
アップにするとスマートなイケメン風な政宗公が、お顔がより一層際立ちます。
戦国BASARAのフィギュアをそのまんま銅像にした感じです。
(※実際は銅像ではなくFRP像のようでした。それでも見た目銅像ですね!)

会場に来ていた 歴女の方もいろんな角度から撮影されていましたが、私も180度見てまいりました。
 しばらくは、全方向から騎馬像をご覧ください。

背中には、仙台竹に雀の家紋を彷彿とさせる竹の家紋?

横から・・・・・ 鞍と泥障(あおり)も立派です。
ん?なんだろうこの違和感は? あっ そうか鐙(あぶみ)がない状態で馬に乗っているんだ!

さすが、政宗公、 キザで伊達で傾いています。
とにかく、この銅像だけでも見に行く価値あります。
この騎馬像をぜひ材質を青銅にして正式に銅像として建立していただくことを希望します!

撮影日:2015/7/19

東京都の銅像(赤坂:勝海舟・坂本龍馬師弟像除幕式)

赤坂駅から5分程度の場所に(2016/9/10)に新たに偉人顕彰銅像が建立されました。
これもイケメン銅像と呼ぶに相応しい表情です。

除幕式開始直前の会場の様子です。

除幕式に参加させていただきました。
勝海舟・坂本龍馬師弟像を建てる会の名誉会長である ホッピーでお馴染みの飲料メーカーの会長さん(石渡光一氏)の挨拶で除幕式が始まりました。
赤坂の歴史や勝海舟と坂本龍馬の話など面白い内容に引き込まれました。

銅像設置場所に移動し、いよいよ除幕式です。
※風で布が飛ばされフライングで銅像が見えてしまうハプニングはありましたが無事に終了。

除幕式を執り行なった主要メンバーが記念撮影です。
銅像を建てる会の幹部、赤坂区長や 勝海舟のひ孫、玄孫、坂本家十代当主、銅像作家の山﨑和國先生などです。

改めまして 銅像紹介

勝海舟・坂本龍馬師弟像

場所:東京都港区赤坂 サンサン赤坂(勝海舟邸宅跡)
建立年月日:2016/9/10
作者:山﨑和國
山﨑先生は、長崎の風頭公園にある坂本龍馬像の作者です。
銅像の高さは、勝海舟1.6m、坂本龍馬1.9m

尊王攘夷思想であった坂本龍馬が開国派の勝海舟を斬りに赤坂の勝邸宅に訪れた際に、勝の先進的な思想に触れた龍馬は感嘆し、その場で弟子入りを懇願したという逸話があります。
その逸話を元に師弟の銅像という事に決定したそうです。

この銅像にはもう一つこだわりがあるそうです。
二人の刀の鞘に注目してください。刀を抜けないように紐で縛りつけています。

剣術の達人であるにもかかわらず決して刀を抜かなかったと言われている二人の不戦の誓いを表現しています。

二人の銅像の前の道は、赤坂サカスから六本木通りに出る坂道になっています。
視線のさらに向こうには、お台場を越えて太平洋になっております。
海に縁のある二人に相応しい立地場所と言えます。

式典でも 銅像を建てる会の会長さんが語っていましたが、この通りは将来
海舟-龍馬ストリートと命名される日が来るのではないでしょうか。

今回 銅像建立の募金にも参加しておりました。
石碑に当サイトの名前「日本銅像探偵団」が彫られております。
※7文字という制限があったため、「日本の銅像探偵団」になっておりません。
もしこの銅像を見る機会がありましたら、こちらもご確認ください!!

撮影日:2016/9/10 

岐阜県の銅像(洞戸・高賀神社)

!!!


今にも、刀でとどめを刺そうとする必死の形相。リアルすぎる銅像!!!

このリアルなインパクトのある銅像を見るために、東海北陸自動車道・美並ICを下りてから、
山深く板取川に沿って国道256号を30分ほどかけて洞戸地区にやってきました。

途中の看板を曲がると、すぐ「神水庵」というスポットがありますが、今回は通過してしまいました。
※あとで知ったのですが、「高賀の森水」の源泉だったらしく、シドニー五輪で金メダルを取った高橋尚子が
給水に利用していたという有名な場所だった・・・・。(次回また行きます)

さらに5分ほど車で林道を上ると 大きな鳥居が見えてきます。人里離れた荘厳な雰囲気です。

大鳥居をくぐり、徒歩で5分ほど歩くと 江戸時代前期の僧侶:円空にちなんだ茶屋と記念館が見えてきます。
円空は、独特の木彫りの仏像を多く残しており、この付近では、いろいろとゆかりの場所が多いです。
東海北陸自動車道の美並IC付近から巨大な木彫りのオブジェが見えますが、それも円空の作品を模したものです。円空の銅像も建立されればいいのに・・・・。

その先が、目的の高賀神社です。

本殿前の鳥居横にその銅像が見えてきました。
まずは、本殿にて参拝をさせていただいてから 銅像を鑑賞しましょう。

藤原高光

場所:岐阜県関市 高賀神社
建立年:1988年(昭和63年)

ここ高賀には、高光の妖魔退治の伝説があるが、実際は、三十六人歌仙の一人とされる人物。
父は、村上天皇の時代の右大臣まで上り詰めた藤原師輔。藤原家の中心的家柄であったが、父の死後、出家する。

この地に伝わる 妖魔退治伝説とは、 高賀の山に 正体不明の妖魔が住み着き、人々に害をもたらした。時の帝より藤原高光に討伐の勅命が下された。
 高賀神社に必勝の願をかけると神より「必殺の弓」を賜った。
いざ、妖魔退治に出発し、襲い掛かってくる妖魔に対し、神より授かった弓矢を放った。

矢は見事に妖魔に突き刺さり、その正体がついに明らかになりました。
その妖魔の姿は頭が猿、胴体が虎、尻尾が蛇 の姿をしていた「さるとらへび」であった。
猛り狂う妖魔を押さえつけ、とどめを刺す姿がこの銅像である。

完全にマウントポジションを取り、妖魔:さるとらへびの首根っこを押さえつけております。
この阿鼻叫喚の表情・・・・。銅像とはいえ、迫力満点です。

そして今にも首を切り裂かんと非情の形相で短刀を構える高光公!!
ゆかりの土地ゆえに、銅像に魂が入り込んでいるとしか思えないほどの迫力で素晴らしい作品です。

余談であるが、師輔の子孫の系統は、九条流摂家と呼ばれる。
この銅像の台座の謹書は九条家現当主の九条道弘によるものである。

撮影日:2015/9/24