滋賀県の銅像 日野町:蒲生氏郷

数年前に、安土城へ行くことが第一目的だったのですが、まず向かったのが、この銅像でした。

名神高速道路 八日市ICを下りて国道307号を日野町に向けて進みます。
朝の通勤時間帯前の時間であったので、日野記念病院の駐車場を少しお借りして
307号沿いの公園まで歩いていきました。徒歩1分程度の距離です。


蒲生氏郷

場所:滋賀県蒲生郡日野町 ひばり野公園

日野町のホームページ  のトップにも氏郷公の銅像が掲載されてあります。
地元の英雄なんですね。

蒲生氏郷といえば、燕の尾をモチーフにした珍しい兜も所有していた。



漆黒の甲冑で、さすが魔王・信長公に才能を認められた人物だけあり、ファッションセンスも抜群だったに違いない。ぜひこの鎧で銅像を建立していただきたい。

滋賀県の銅像(犬上郡甲良町)

藤堂高虎

場所:滋賀県犬上郡甲良町 在士高虎公園

伊予今治藩主。後に伊勢津藩の藩祖となった戦国大名。

元は浅井家に仕え、初陣の姉川の合戦で武功を挙げるが、主君は敗北する。

浅井家が滅びると織田家に仕え、豊臣家時代は豊臣秀長に仕える。

秀長の元で武闘一辺倒な武将から戦略眼を身につけ、築城技術も身につける。

後に加藤清正と並ぶ 築城の名手としても名を馳せる。

豊臣秀吉から拝領された「唐冠型兜」がかっこいい。

豊臣秀吉が死去すると、豊臣恩顧の武将ながら真っ先に徳川家康陣営に鞍替えをする。

石田三成陣営による徳川家康暗殺計画の情報を仕入れ、家康の危機を救うなど、徳川家康が天下を握った後、家康から最大の信任を得「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ」と言わしめた。

 家康の最期には、外様大名で唯一 枕元にいることを許されたほどです。

大阪の陣の後、江戸幕府 による大坂城再築のため切り出したものの結局使われなかったという残念石 です。

主君を七度変え、風見鶏、世渡り上手な戦国大名として敬遠される人もいるようですが、私は先見の明があった人物として現代のビジネスマンが参考にすべき戦国大名で、もっと評価されてもいい気がします。

ぜひ大河ドラマ化を!!