昭和の大横綱:千代の富士

令和時代になりましたが、昭和時代の伝説の大横綱の銅像をご紹介します。
東京都台東区 言問通り沿いにあるお寺の境内にあります。
駅としては「根津駅」が近いですかね。

寺の門前に「千代の富士像」という石碑が目印。(撮影忘れました)

千代の富士 貢

東京都台東区 望湖山玉林寺
作者:小張隆男  2011建立

第58代の横綱。通算白星1045勝は歴代3位。通算31回の歴代二位の幕内優勝。
相撲界で唯一の国民栄誉賞を受賞。など偉大な功績を残した昭和の大横綱。
引退後は九重部屋を継承し、九重親方として協会の理事として相撲の発展に尽力する。
2016年 癌を患っての急死のニュースには衝撃を受けたものです。

この眼差し!
「ウルフ」と呼ばれた全盛期の横綱時代の千代の富士が甦ったようです。

私の世代では「若花田(若乃花)」「貴花田(貴乃花)」「曙太郎」が活躍した平成の大相撲を思い浮かべる年代になってしまいますが、当時はまだ現役で横綱として活躍していた千代の富士は別格の存在でした。

当時人気実力が急上昇の若手力士・貴花田(貴乃花)に敗れた直後の引退会見を開いた際のセリフ

「体力の限界・・・」

と男泣きする千代の富士の姿に1つの時代が終わったと感じたものです。
太刀を持つ 横からのアングル。横顔が一番似ているかも!

この銅像は2011/6/2に除幕式があり、九重親方ご本人も出席されニュースにもなっていました。

この玉林寺になぜ銅像が建立されたのか?
九重親方の菩提寺でもあり、千代の富士像が見つめる先に、平成元年に亡くなった3女(愛ちゃん)が眠っているお墓があるとのこと。

この銅像が親方の分身となって愛娘を見守っているようにも見えてきます。

上野駅から少し歩きますが、歩ける距離のため、上野公園の西郷さん銅像や上野動物園、上野寛永寺、アメ横などの観光スポットに行くついでに見に行ける銅像としてもおススメです。

東京の銅像(柴又 さくら銅像除幕式)

映画「男はつらいよ」の定番のラストシーン。失恋し柴又から旅立つ寅さんを見送る妹さくら。
そのシーンをイメージさせる銅像が完成しました!!

京成線:柴又駅前の広場です。
改札口を出るとすでに警備員と観客が集合しておりました。

駅前やホームにこのポスターがありました。近隣の駅でも見かけましたね。

広場の中央には桜色の布が銅像に被せてあり、除幕式の開始を待っております。

ゾクゾクと関係者が集まり出し、いよいよ11時となり除幕式の開始です。

司会進行は柴又ゆかりの演歌歌手:徳永ゆうきさんです。

柴又区議会院長や都議会委員、柴又観光協会など関係者の挨拶と紹介。
寅さん像とさくら像を制作された彫刻家:吉田穂積先生も出席されてました。

五名ほどの政治家の方の挨拶に、後ろにいた年配の観客も少しうんざり気味(苦笑)
※気持ちはわかりますが、失礼ですよ・・・・。

さていよいよ除幕式のメイン。銅像お披露目式です。

山田洋次監督のトーク。1999年の寅さん像建立から18年を経て 見送る妹さくら像が出来たことに感慨深げでした。

続いて倍賞千恵子さんのトーク。
さくら像建立の話を聞いたときに「私はまだ生きてますよ!」と発言したとか(笑)
山田洋次監督に倍賞さんの像ではなくて、さくらの銅像ですよと諭され、
「では、どうぞ」と言いましたと ダジャレも出ました(笑)

諏訪さくら(モデル:倍賞千恵子)
場所:東京都葛飾区 京成線:柴又駅
建立年月日:2017年3月25日
製作者:吉田穂積

台座には、山田洋次監督がこの銅像のために書いたシナリオが彫られております。
ぜひ現地でお読みになり、2人の銅像を鑑賞すると情景が沸いてくると思います。左端には、倍賞千恵子さんのサインが書いてあります。

旅立つ兄の寅さんを見送るさくら像

その対向線にあるのがフーテンの寅さん像

では行ってくるよと ぶっきらぼうに妹に挨拶するにも見えます・

寅さん像の左足の親指を触ると幸せになれるという噂がいつの頃からか広まっております。

実はさくら像にも似たようなご利益があると 本日の倍賞千恵子さんのトークで発言がありました!!

それは、さくら像の左足のサンダルに「さくら」と彫られています。

※この文字は倍賞さんが彫った文字ということです。

そして右足のサンダルは「ち」の文字が彫られています。

この左足の「さくら」の「さ」と右足の「ち」の文字を順番に触ると・・・・

「さ」「ち」=「幸」

幸せになれるという ご後利益があるそうです。


この隠れ文字も忘れずにご覧ください

せっかくですので さくら銅像建立記念乗車券というものを購入してみました。

撮影日:2017/3/25 

東京都の銅像(赤坂:勝海舟・坂本龍馬師弟像除幕式)

赤坂駅から5分程度の場所に(2016/9/10)に新たに偉人顕彰銅像が建立されました。
これもイケメン銅像と呼ぶに相応しい表情です。

除幕式開始直前の会場の様子です。

除幕式に参加させていただきました。
勝海舟・坂本龍馬師弟像を建てる会の名誉会長である ホッピーでお馴染みの飲料メーカーの会長さん(石渡光一氏)の挨拶で除幕式が始まりました。
赤坂の歴史や勝海舟と坂本龍馬の話など面白い内容に引き込まれました。

銅像設置場所に移動し、いよいよ除幕式です。
※風で布が飛ばされフライングで銅像が見えてしまうハプニングはありましたが無事に終了。

除幕式を執り行なった主要メンバーが記念撮影です。
銅像を建てる会の幹部、赤坂区長や 勝海舟のひ孫、玄孫、坂本家十代当主、銅像作家の山﨑和國先生などです。

改めまして 銅像紹介

勝海舟・坂本龍馬師弟像

場所:東京都港区赤坂 サンサン赤坂(勝海舟邸宅跡)
建立年月日:2016/9/10
作者:山﨑和國
山﨑先生は、長崎の風頭公園にある坂本龍馬像の作者です。
銅像の高さは、勝海舟1.6m、坂本龍馬1.9m

尊王攘夷思想であった坂本龍馬が開国派の勝海舟を斬りに赤坂の勝邸宅に訪れた際に、勝の先進的な思想に触れた龍馬は感嘆し、その場で弟子入りを懇願したという逸話があります。
その逸話を元に師弟の銅像という事に決定したそうです。

この銅像にはもう一つこだわりがあるそうです。
二人の刀の鞘に注目してください。刀を抜けないように紐で縛りつけています。

剣術の達人であるにもかかわらず決して刀を抜かなかったと言われている二人の不戦の誓いを表現しています。

二人の銅像の前の道は、赤坂サカスから六本木通りに出る坂道になっています。
視線のさらに向こうには、お台場を越えて太平洋になっております。
海に縁のある二人に相応しい立地場所と言えます。

式典でも 銅像を建てる会の会長さんが語っていましたが、この通りは将来
海舟-龍馬ストリートと命名される日が来るのではないでしょうか。

今回 銅像建立の募金にも参加しておりました。
石碑に当サイトの名前「日本銅像探偵団」が彫られております。
※7文字という制限があったため、「日本の銅像探偵団」になっておりません。
もしこの銅像を見る機会がありましたら、こちらもご確認ください!!

撮影日:2016/9/10